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Vol.07 「オスロ公演の充実感」

ノルウェー・オスロのウルティマ現代音楽フェスティバルから招聘されて能の公演に出かけることになった時のことである。今までの度々の海外公演では充たされぬ虚しさが募っていた。能は海外から日本に来て観るもの、との思いが強く、海外公演はあまり乗気ではなかった。その思いもあって招聘にみえた実行委員長のガンブル氏に「能は客席の中に張り出し、横からも観ることができ、面の表情が肉眼で確りと捉えることが可能な能舞台という特殊な舞台で演じて初めて力を出すことができるもの。声も囃子の音も生で聞こえる、せいぜい四、五〇〇人に観せる広さが理想である。マイクを使わなくてはならない広さでは能のよさはとうてい解ってもらえない。ホールのステージのように緞帳で客席と舞台を区切った処などが初めから能を否定している。と勝手に理想論をぶちまいた。国内外を問わず、能楽普及のためには仕方ない、と千人、千五百人を集めるステージでの能にアレルギーを示すもののひとりとして、海外公演といえば人集めのために更に輪をかける、そして終ったあとのあの虚しさ。拍手喝采、アンコール、その声が大きければ大きい程、本当に能を解ってくれたのだろうか、これが能の普及になるのだろうか。こんなつまらないものはないと、と永久に能を拒否してしまう人が多いのではなかろうか、といつも疑心暗鬼になってしまうのでる。私の言い分にひとつひとつ頷き検討して返事します、と氏は帰国していかれた。数日後「屋根までは出来ないが橋掛りをつけた能舞台を作ることを決定しました、観客は二百人に制限する。それらをクリアしたので、これが能だ、といえる最高のメンバーでオスロの人々に能を観せてほしい。との答えが届いた。
ノーの返事と思い込んでいたのでその返事に驚き、なんという贅沢な素晴らしい英断であろう、とただただ感服した。同時にやる気満々、日本でも最も催しの多い十月、日程の都合上二日間の公演、わずか四〇〇名のために二十五人のベストメンバーでの参加となった。何より嬉しかったのは文化のため、本物を知るためにはあくまで探求納得できたら国をあげて援助してくれるノルウェーの姿勢であった。

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