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「能」について塩津哲生が執筆したコラムをご紹介します。
 Vol.02 「千番仕舞」  ■バックナンバー

 能の仕舞の型にシカケ、ヒラキという型がある。

 シカケとはただ両腕を前に合わせるだけであるが、手の先を千里先へ持っていくような気持ちで、千里先を見つめてやるべし、ヒラキとはその半径状、体の左右千里に己の胸の前の気を拡げるべし、その時背筋から真後ろ千里先まで息を引くべし、能の型は全てこれが基本である、と教わった。

 稽古を始めて間もなく半世紀になろうとしているが、いまだに舞っている時心の中にあることはただこの一点だけである。様々の所作を度重なる稽古により、身体に覚えさせた後は何も考えず、ただただ気をかけ気を充実させることだけで一心に舞おうとするのが私の生き方であり、まことの能に近付ける唯一の道であると信じている。

 能は演劇のひとつ、人に技で観せなければ何も感じないし、何を演っているのか解らないではないか、という人も多いし実際にそのテクニックで観客を虜にする程魅了している演者もいる。観て満足している人がいるからそれで良いとも思うが、真の能の美しさや強さはもっと次元が高い処にあるように思えてならないし、あると信じている。

 先代喜多六平太・先代梅若万三郎・野口兼資・桜間弓川等明治以降の名人と云われた方々のことを聞き、読むにつけとにかく現代の能とスケールが違い過ぎる。様々の情勢、環境が違うのだから仕方がないと片付けてしまわず、能の本質をもっと見直さねば本来の能と全く異質なものになってしまうように思う。

 実先生の芸の正しさと格調の高さは、当代能楽界の誰をも圧していた。内弟子時代に千番仕舞なるものをやらされたことがあった。当時の内弟子達皆でひと夏の内に千番の仕舞をかわるがわる舞うのである。一見簡単そうでやってみるとなかなかの難行であった。直ぐ汗まみれになるので、この時だけは晒の肌襦袢に袴という珍妙ないでたちが許された。 タオルではとても間に合わず、バスタオルを舞台に持ちこんでの奮闘であった。実先生自身もよく舞台に出て来られて一緒に千番の中に入ってくださった。能の稽古ばかりでなく基礎になる仕舞の稽古を夏場の舞台のない時によくやっておかなければという先生の教えによるものであった。当時は苦しかったが、今思えば、何と有難い時代であったことだろう。 普段着物で見えぬ肘の返し方など先生の骨格まで見ることが出来るなど、思わぬ儲けものも数々あった。八十余歳の最後の仕舞まで微塵の歪みも見えなかったのは恐らく永年の言語に絶する厳しい修練によるものであろうが、およそ我々凡人の近づける世界ではない。目のあたりに教えを受けた時の姿を理想としていつまでも求め続けていきたいと念う。


平成十年 筆

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千番仕舞


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青春時代のひとコマ


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