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プロフィール

塩津圭介って、こんな人

PHOTO 1984年10月27日、喜多流能楽師塩津哲生の長男として東京に生まれました。
能楽師の家系に生れたため、三歳で初舞台を踏み、物心ついたときには、稽古が日常になっていました。
決して今日まで順当にきた訳ではなく、子役として公演に出演するために運動会を休まなくてはならなかったとき、部活動の断念を余儀なくされたとき、またこの環境をプレッシャーや重圧と感じてしまったときなど、能楽師をやめたい、と思ったことも少なくありませんでした。
しかし、能が持つ底知れぬパワーを目の当たりにしたとき、自分もこれをやりたい!この力を人に見せ付けたいと思うようになりました。
その謎の力とは、月と太陽と地球が一直線上に並んだときに日食や月食が起こるように、人の感情の循環が奇跡的な配列になったときに起こるような気がしています。
能楽師が舞う気合と見る側がそれを受容しようとする態勢、どちらかが気負いすぎても、また塞ぎ込みすぎても発生せず、何かが一致したときに背筋に電流が走るような感動を覚えるのです。

私も今まで師匠や、先輩方のたくさんの能の舞台を拝見してきましたが、ほんの数回、どこでその衝撃を受けているのかわからないような大きな衝撃を感じたことがあります。それはほんの一瞬のことで、また同じ方が舞う、同じ曲を、同じ場所で観ても決して再び起こることはないものです。
能楽師も、能を愛好してくださる方も、この一瞬を追い求めているように私は思います。
私自身、またあの衝撃を受ける日を、さらには、私の舞台によって誰かにその心地を味わっていただける日を夢見て、この世界を志しています。

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夢、夢、そして夢

PHOTO祖父が追い求め、決して満足することなく、父にその使命を受け渡す。父もまた、己に満ち足りることなく走り続け、いつの日か私にそのタスキを渡す。
平成22年に祖父の二十七回忌の記念能をさせていただいた折、改めて、祖父のお墓、稽古場を訪ね、能楽師の家、というものを一つの駅伝のチームのように感じるようになりました。
少しでもタイムを縮めようと、戦後の厳しく険しい道を走った祖父。その志を受け継ぎ、昭和から平成にかけて大きく移り変わる日本を走っている父。そしてその古びて染みだらけの、しかし色々な思いの詰まったタスキを受け継ごうとしている自分。
重い使命と言えば、確かにそうですが、その重さよりも、いま私がレースをやめたら、前走者の父も前々走者の祖父も、丸ごと、チーム全体リタイアになってしまう、という危機感を覚えるようになってきたのです。
転んでも、タイムが伸ばせなくても、回り道しても、次の走者にタスキを渡すこと、これこそ自分の生きる意味である。私だけの人生ではなく、受け継がれていくレースの一ページに私の人生が含まれているのだ、と思い始めてから、全く迷いはなくなりました。
21世紀は、どんなレースが待ち受けているのか、わかりません。祖父や父と同じレース運びでは通用しないときもあるでしょう。タスキを汚すことなく、自分らしく、強く逞しい走りができたら、と思っています。


普段の塩津圭介

趣味はロードバイク、マウンテンバイク、テニス、ちょっとゴルフ。キャンピングなどアウトドアが好きです。 小学校二年生の時から、現在に至るまでボーイスカウト活動をつづけています。

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塩津圭介 年表 これまでのプレス掲載
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