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PROFILE
塩津圭介ってこんな人
  1984年10月27日、東京に生まれ、その後ずっと東京で育っています。
  能楽師の家系に生れたため、ものごころついたときには、舞台にでていました。父、塩津哲生が能楽師という道を選んだ時は、自分で考える余地など全くなく、自分の将来をゆっくり考える間もなく、喜多流宗家での修行がはじまったと聞いていますが、時代も大きく変化していたし、塩津哲生の考えは、祖父清人の考えとは異なっていたようで、僕、塩津圭介には職業を選ぶ権利が与えられました。しかし、これを求められたのは、高校1年になったばかりのころ。まわりの友達で将来の職業を決めている人など、全くといっていいほどいませんでした。

能楽師になるのやめようかな。 …そして衝撃の出会い
塩津圭介   一時は能楽師になることをやめて、高い学歴を求め、父とは違う道に就こうと思っていました。父も、「自分で納得のいく道を歩きなさい」とはいってくれたものの、僕が生れた翌年には、自宅に稽古舞台が完成し、年々装束だんすが増えていくのは、プレッシャーを感じるなというほうが、困難な状況でした。
  悩んでいたころ、僕は、人生観を変えさせてくださる偉大な人物にめぐり合うことができました。世界規模で活躍する日本のベンチャー産業の会社を経営する社長さんでした。
この方のお話を伺っているうちに、僕の考えは大きく変化したのでした。

塩津圭介

発想の転換、重圧ではなく可能性!?
  もし、僕が会社勤めをする父の元に生れていたら、おそらく能楽師になろうなどという職業の選択肢はなかったでしょう。 が、しかし、能楽師の家系にうまれた僕には、サラリーマンになろうかと考える余地もあります。僕には、生れた時から職業の選択肢が一つ多いのです。これを無駄にする手はない!!と考えるようになりました。
  父は、昭和時代、平成前期に合った能楽師人生を過ごし、新しい試みをたくさん行い、そして、今も能楽界の第一線で活躍中です。しかし、父の生き方は、僕が生きていく時代には、おそらく時代遅れになっていることでしょう。 僕は、父よりももっともっと積極的に新しい事にチャレンジしていこうと思っています。
夢、夢、そして夢
  僕は、「将来の夢は?」と聞かれると、つぎのように答えるようにしています。
今、日本人のなかで、「バレエ、オペラ、という言葉を全く見たことも聞いたこともない。」という人は、皆無に等しいでしょう。しかし、主要先進国の人々の中でも、能、を知らない人が、まだまだたくさんいることは事実です。また、日本には、日本人のバレエやオペラのプロ、アマチュアの方がたくさんいらっしゃいますが、外国に、外国人能楽師、外国人生徒は、いません。伝統芸能としての完成度から言ったら、能はバレエやオペラに勝るとも劣らないと思いますし、日本人の皆様に、ぜひそういう意識を持っていただきたいと思います。バレエやオペラが日本に存在し、日本風にアレンジされて上演されています。しかし、ご当地フランス、イタリアでは、「やはり、本物は違うわね。」といった具合に、決して本物が乱されることなく、受け継がれています。
  一人でも多くの日本人に、日本の伝統芸能「能」を知り、そして我らが日本に誇りをもっていただくこと。そして、全世界からどのようなカタチでも、「能」を全く知らない人が一人でも減っていくこと。様々な手段で、これを実現していくことが、僕の夢で、このホームページもその第一歩です。これを観てくださった方のご協力を切に願います。
偉そうなこと言ってても普段はごく普通
  趣味はサイクリング及びロードバイク、マウンテンバイクの改造、テニス、キャンピングなど体を動かすことです!!
  小学校二年生の時から、現在に至るまでボーイスカウト活動をつづけています。
圭介マウンテンバイクに乗る
一言メモ
圭介ボーイスカウト   ある地で行われた薪能の特設舞台の設営時、地元の舞台作りのおじさんたちが、揚幕を固定できずに困っていた。圭介はボーイスカウトで習得した特殊なロープの結び方で見事に固定させて、意気揚揚と楽屋に引き上げてきた。が、実は楽屋では子方がいなかったため、申し合せというリハーサルが始められず、塩津哲生は、堪忍袋の尾が切れる寸前だったらしい・・・。

  能楽の稽古は、シテ方の稽古は実父塩津哲生師に師事。プロの能楽師になるためには、囃子の稽古を受けることが必須となっているため、太鼓は人間国宝、金春惣右衛門師に、大鼓は柿原崇志師に、小鼓は森澤勇司師に、それぞれ師事しています。
  能楽のお話に限らず、趣味のお話のメールもお待ちしています。




1984
圭介誕生10月、喜多流能楽師塩津哲生の長男として東京に生れる。姉理代と7才離れており、喜多流という流儀の中でも久々の男の子、ということで、まさに待望の男の子の誕生となりました。
1987
圭介3歳2ヶ月12月(3歳2ヶ月)、塩津哲生の社中の発表会「哲門会」にて、独吟「老松」で初舞台を飾る。
1988
2月、喜多流例会能にて、初子方「隅田川」を勤める。圭介3歳4ヶ月
1989
4月、学習院幼稚園入園圭介4歳6ヶ月
6月、国立能楽堂自主公演にて能「草紙洗小町」の子方を勤める。圭介4歳8ヶ月
1990
圭介5歳5歳児とは思えない!?力の入った仕舞をみせる。
1991
学習院初等科に進学する。圭介5歳6ヶ月
1992
塩津哲生主催の佐渡薪能、大牟田薪能に「岩船」のシテとして共演する。
圭介8歳
1993
NHKの能楽鑑賞会に「安宅」の子方としてテレビ出演する。シテは人間国宝の粟谷菊生師。翌平成6年1月15日am9:00放送

圭介9歳この頃、同じ喜多流に同世代の子方がいなかったこともあり、一月に四つの舞台を掛け持つなど、喜多流の子方を一手に引受けて大活躍する。
1996
子方の卒業試験とも言われる「烏帽子折」の子方を勤める。圭介12歳
1997
塩津清人記念能舞台落成能にて初シテ「田村」を勤める。
2000
喜多流青年能に「是界」のツレとしてデビュー圭介16歳
2001
三つの木会にて、国栖のツレで初面を経験する。
2002
十七歳で、塩津圭介公式webサイトを立ち上げる
2004
東京学芸大学 教育学部 国際理解教育課程 国際教育専攻に入学

4/15にblogを開設
http://d.hatena.ne.jp/NohShiotsu/
2008
東京学芸大学 教育学部卒業